「記憶の淵に零れ落つ」(乱司書) 【文豪とアルケミスト】 2018年06月09日 図書館で噂になっている怪異。 調査していた司書と文豪たちが見つけたのは異質な気配を持つ本だった。 文豪たちと共に本の中に入ってしまった司書は、何故か本の中の風景に見覚えがあるような気がして…… 潜書できてしまう司書さんのお話。 ※名前あり創作女司書注意 【文庫72p/¥600】〈pixivサンプルページ〉 ■BOOTHで買う ※残部少 【sample】 序 地下書庫の迷宮 図書館の地下に広がる書庫。其処は蔵書が増える毎に増築を繰り返された結果、迷宮のような複雑な作りになっていた。それでも図書館の中で日々の仕事をこなしている多くの職員は、配置や位置関係を覚えていて迷う事は稀だ。 しかし、特務司書である本織沙理はそうではなかった。抑々、沙理は正確に言えば図書館司書ではない。アルケミストとしての知識や経験はそれなりにあるが、司書の知識は特務司書になる際の研修で得た付け焼刃のものだけだ。経験に至っては、この図書館に来てからの僅かな期間に得たものしかない。 だから、現在の状況は仕方がないと言えるだろう。 うん、仕方ない。と自分に言い聞かせて、沙理は天井近くまで聳え立つ本棚の樹海の真ん中で途方に暮れていた。 昼食を急いで食べて研究資料を探しに来たまでは良かった。目的の資料はすぐに見付かり、それは沙理の手にしっかりと掴まれている。 「分類は覚えたから、もう大丈夫だと思ってたのに……」 溜息を吐いて本棚に付けられているプレートを仰ぎ見た。一人で来るべきではなかったと今更後悔しても遅い。来た道をそのまま戻ったつもりだったのに、書庫の出入り口に辿り着けないのだから。 「疲れたなぁ」 ポケットに入れた懐中時計で時間を確認すれば、昼休みはとうに終わっていた。一時間弱は歩き回っていたことになる。午後から急ぎの仕事がなかったのは幸いだろう。 「どうしよう……」 いつの間にか傍にいて当然のようになってしまった助手の姿を思い出して、また溜息を吐いた。心配を掛けているだろうか。もしかすると呆れられているかもしれない。自分が此処にいることは入れ替わるように出て行ったアオが知っている筈だが、それは伝わっているだろうか。 本棚を見渡し、もう一度自分の居場所と書庫内の配置を確認しようとするが、配置が中途半端にしか頭に入っていないのだから把握することなど無理な話だ。 「あれ?」 はぁと肩を落としたところで沙理はそれに気付いた。手にしていた本を胸の前でしっかりと抱えて辺りを見渡す。 「これって……」 首を傾げながら、沙理は先程までの不安な色が消えた真剣な目を本棚に並ぶ背表紙へと走らせた。 「こんな所にいらっしゃったのですね」 「ひッ!」 不意に掛けられた声に肩を跳ねさせて悲鳴を上げる。その拍子に抱えていた本を取り落しそうになり慌てて抱き締め近くの本棚にしがみ付いた。何事かと振り向けば、視界の端に揺れる黒。 「乱歩先生?」 目を細め口許に緩く笑みを浮かべた江戸川乱歩が其処に立っていた。はぁーっと息を吐き、そのまま床にへたり込んでしまう沙理。その様子に目を瞠った江戸川は呆れたように溜息を吐いた。 「だから、お一人で書庫には行かないようにと言っていたでしょう」 「ごめんなさい」 呆れ混じりの咎めるような言葉に俯いてしまった沙理の前へと、白い手袋に包まれた手が差し伸べられる。目を瞬かせれば、本棚にしがみ付いていた手を取られ強い力が沙理を立ち上がらせた。 「まったく、アナタは方向音痴なのですから……」 「乱歩さん、司書さん見つかったの?」 「良かった!司書さん、大丈夫?」 可愛らしい声と共に、新見南吉と宮沢賢治がひょっこりとマントの影から顔を出す。江戸川のお小言のような言葉が途切れてほっとした沙理は、新見と宮沢へと視線を向けた。 「ごめんなさい。ご心配お掛けしました」 「今後は、必ず誰かに同伴してもらうようにしてくださいね」 「はい……」 今回ばかりは叱られても仕方がないと沙理がしおらしく頷いたところで、新見と宮沢が顔を見合わせて笑い出した。 「乱歩さんったら、素直じゃないね」 「ちゃんと言えばいいのにねー、ごん」 どうしたのだろうと目を瞬かせる沙理の前で、笑い合う新見と宮沢に視線を向けた江戸川が不意にはっとした顔をする。掴まれたままの手が強く握られて何事かと沙理は首を傾げた。 「さあ、戻りますよ!」 急に背を向けた江戸川にも、笑い続ける新見と宮沢にも、何が何やらと戸惑う沙理だったが、掴まれたままの手が強く引かれてしまっては後を追って歩き出すしかない。 「ねえ、司書さん」 「どうしたんですか、南吉先生?」 くい、と新見に袖を引かれ沙理はそちらへと視線を向けた。 「乱歩さんね、司書さんが書庫で迷子になったって聞いて凄く心配してたんだよ」 内緒話のように告げてきた新見の言葉に、沙理は半信半疑で目の前の背中へと視線を向けた。 黒いマントを羽織った見慣れた背中。そして白い上着の袖から伸びた手は沙理の手をしっかりと掴んでいて……不意にその手が離され沙理は思わず足を止めた。 「見たことないくらい慌てていてね、真っ先に書庫に飛び込んだんだ」 ねーと笑い合う二人に江戸川が咳払いをする。じっと後ろ姿を見つめていた沙理は、その耳の後ろが僅かに赤くなっているのに気付いた。 「乱歩先生……」 手を伸ばした沙理が掴んだのはマントの端。立ち止まり肩越しに振り返った江戸川が目を瞠る。 「次からは、乱歩先生が一緒に来てくれますか?」 そう告げた沙理に、目を細めた江戸川は口許に笑みを浮かべた。 「えぇ、モチロンです。ワタクシでよければ何時でもお伴させていただきますよ」 マントを掴む沙理の手が取られ軽く引かれる。繋ぎ直された手から伝わる熱に不意に鼓動が騒ぎ出した。 にこにこと笑いながら新見と宮沢が後を追い掛けて来る。心配してくれる人たちがいて、一緒にいてくれる人たちがいる。今は独りきりではないのだと実感して沙理は少し嬉しくなった。胸に広がるあたたかなものが安心感をもたらして自然と口元が緩む。 と、その時。ふと背後に何かの気配がしたような気がして、沙理は眉を顰め振り返った。 「どうしました?」 「司書さん?」 「どうしたの?」 突然足を止めて辺りを見回す沙理の様子に、不思議そうな顔をする三人。その瞬間、感じ取った何かは跡形もなく消え失せていた。 「なんでもないです」 首を横に振って、沙理は誤魔化すように笑みを浮かべたのだった。 一 怪異の噂 夜も更けて今日も残すところ二時間程かという頃、沙理は司書室の机に向かっていた。 机の上に広げた日記帳には今日一日の出来事が書き綴られている。非公式のものだが、日誌に近い内容になってしまっていることもあり司書室の引き出しの中にしまっていた。 「うーん……やっぱり、気のせいじゃないよね」 窓の外に目を遣りながら考え込む。 それは、数日前に地下書庫で迷子になった日から気になっている事だった。あれから何度か助手である江戸川を伴って書庫に用を済ませに行ったが、その際にもやはりそれは感じ取れた。 『ここ数日、得体の知れない気配が感じられる。未確認の有碍書なのか、元々居る何かなのか、通りすがりのモノなのか分からないが、少し様子を見ておかなければいけない。場所は……』 沙理は昔から姿の見えない『何か』の気配を感じることがあった。霊感と言ってしまえば一気に胡散臭くなるが、それはある種の感覚が野性的な意味で鋭いだけなのだろうと沙理は認識している。 アルケミストになる以前に身を置いていた場でも、アルケミストになってからも、その感覚は役に立つことがあったし、特務司書となった今は有魂書や有碍書が持つ異質な気配を探る際に重宝していた。 その感覚が、書庫の中に何かしらの異質な気配があり、何者かが助けを求め呼んでいるような声を伝教えてくるのだ。 「何なんだろ、一体」 ペンを握った手を無意識に揺らしながら天井を見つめ、沙理はぼんやりと思考する。様々な可能性が脳裏に浮かんでは、それに対する理由付けが頭の中で行われていた。 「司書さん」 突然声を掛けられ、沙理はびくりと肩を跳ねさせた。 「っ!!乱歩先生!?」 司書室の扉が少しだけ開いていて、江戸川と小泉八雲が顔を覗かせていた。 「八雲先生も……びっくりしたじゃないですか」 「まだ司書室の明かりが点いておりましたので、もしや……と思いまして」 「もう終わりますよ」 室内に入ってくる二人を目で追い、沙理は苦笑を浮かべた。 「お二人はこんな時間まで何を?」 「談話室で怪談をしていたのデス」 生き生きとした笑顔を浮かべる小泉。江戸川も何やら楽しげだ。 「………………」 沙理は溜息を吐いた。 夕食後に彼らが談話室にいるのを目撃したが、あれからずっと怪談話に花を咲かせていたのだろうか。話の内容に興味はあるが、周囲にいた他の者たちからの苦情が入りそうだなと過ぎった。 「オヤ?司書さん、どうかなさいましたか」 「なんでもないです」 首を横に振り、気を取り直した沙理は日記帳に文字を書き付けた。 『……地下書庫の奥。詳細は目下調査中。 』 「っと。よし」 ぱたんと日記帳を閉じる。 「得体の知れない気配、とは?」 「先生!人の日記を覗き見ないでください」 いつの間に来たのか、江戸川が沙理の真横に立って手元を覗き込んでいた。 「得体の知れない気配……とは、怪談デスね!!」 うきうきした笑顔を向けて執務机に寄ってくる小泉。肩を落として沙理は傍らの江戸川を軽く睨んだ。 「大事にはしないでくださいね」 そう前置きをして、沙理は二人に応接用のソファに座るよう促す。 「この間、書庫で迷子になった時からなんですけど……」 自分もそちらに移動し腰を下ろすと、事の次第を話し始めた。 「ふむ……」 「それは……」 話し終えた沙理の前で、江戸川と小泉が顔を見合わせる。 「あの、どうかしましたか?」 「いえ。それは先程までワタクシたちが話をしていたものと、よく似ておりますね」 え?目を瞬かせた沙理に、二人は図書館内で最近噂となっている怪異について話し始めた。 それは、沙理が書庫で迷子になった日の少し前から広まり始めていた噂話らしい。このところ図書館内に勤める職員たちだけでなく文豪たちの耳にも入っていて、実際に音を聞いたり不審な気配を感じた者もいると言う。 噂話をまとめてみれば、沙理が聞いたような助けを求めるような声やパラパラと何かが落ちるような音を聞いただとか、背を這うような陰気な気配を感じただとか、ただの怪談として放って置くには少々気になる点がある。 「司書殿の話も気のセイではないようデス」 「正体が何であれ、アナタも気付いているというのなら話は早いですね」 二人の言葉に沙理は頷いた。 「一度、きっちりと調べた方がいいですね」 「これから確かめに行きマショウ!」 明日にでも……と言いかけた沙理を遮るように小泉が突然立ち上がった。 「何が起きているにしろ、早くに解決させる方がよいでしょう?」 突然何を言い出したのだと沙理が慌てている内に、江戸川までが立ち上がる。 「え、待ってください!」 「このまま放っては置けないでしょう?」 「ええ、まあ。それはそうなんですが……」 この怪異がただの噂話にしろ、有碍書の可能性も捨てきれないだけに調べるのならば自分たちが動くのが一番いいのは分かっている。それに、もし本当に有碍書が原因ならば一般の職員たちがいないうちに回収せねばならないだろう。 「アナタの護衛はワタクシたちにお任せください」 「司書殿のことはワタシたちが守りマスよ」 二人は手にした本を沙理に示して不敵な笑みを浮かべた。 「…………分かりました。行きましょう」 暫く思案した沙理は頷いて立ち上がったのだった。 PR