「真っ白な悪夢」(乱司書) 【文豪とアルケミスト】 2019年04月30日 夜毎、白に覆われた世界で司書は彼に出会う ただ髪を撫で甘やかすだけの彼は、夢?それとも現実? 「アナタはずっとここに――ワタクシの腕の中にいればよいのです」 好意に臆病な司書と一歩を踏み出せない乱歩が遭遇した悪夢の結末は……? 潜書できてしまう司書さんのお話2作目(「記憶の淵に零れ落つ」の続き) ※名前あり女司書注意 【文庫132p/¥1000】〈pixivサンプルページ〉 ■BOOTHで買う ■b-2FOLIOで買う 【sample】 序 真っ白な夢 ここはどこだろう。 何の音も聞こえない静寂に包まれた空間。 見渡す限り真っ白に染まった何もない世界が広がっていた。 視界に、はらはらと舞う白い何かが映り込んで手を伸ばす。 てのひらの上に落ちたそれは、ゆっくりと溶けて消えた。 花弁かと思ったけれど雪の欠片だったらしい。 降り積もった真っ白な雪の上に、空から次々と舞い落ちてくる真っ白な欠片。 まだ、こんなに雪が降り積もるような時季には早かったはずだ。 そう思いながら灰色の雲に覆われた空をぼんやりと見上げた。 それにしても、自分はどうしてこんな所にいるのだろう? 「こんな所で、何をなさっているのですか?」 ゆったりとした少しだけ笑いを含むような、それでいてどこか咎めるような声音に振り返れば、すぐ傍に佇んでいたのは見慣れた姿の男。辺りに降り積もる雪と同じ真っ白なスーツに身を包み、その上から纏った正反対の真っ黒なマントが動きに合わせて揺れた。 「乱歩先生?」 呼び慣れた名を口にすれば、目を細めた男は黙ったままで口許に笑みを浮かべ歩み寄る。 「そんな格好では風邪をひいてしまいますよ」 声と共に耳に届いたのは衣擦れの音。視線を向ければ、表地と比べて派手な黒と青のハーリキンチェックの裏地が翻りこの身を包み込んだ。 「乱歩……先生」 マントの内側に引き入れられれば彼の胸に肩が触れ、冷えたそこに伝わる体温が心臓をドキリと跳ねさせる。 「アァ、こんなに体が冷えてしまっているではありませんか」 もう少しこちらへと背に回された手が体を抱き寄せる。 そのあまりに近すぎる距離に、頭の中がフワフワするようだった。 「……あったかい」 ぼんやりとする思考のまま騒がしい自分の心臓の音を隠すように呟けば、それは良かったと耳元で囁く声。 きっとこれは夢だ。 自分の願望が――彼をもっと近くに感じていたいという欲が大きくなり過ぎたのだ。 そう自分に言い聞かせ、彷徨わせた視線を真っ白な雪に覆われた地面へと落とす。 けれど…… このままでいられるのなら夢でも構わないと思った。 現実なら、こんなことはあり得ないのだから。 クスリと小さく笑う声が耳に届く。 どうしたのだろうと顔を上げれば、青い瞳にジイッと見つめられていた。 触れた手がそっと頭を撫でてゆく感触が心地好くて、猫のように目を閉じされるまま身を預ける。ゆっくりと頭を撫でては指が優しく髪を梳いてゆくのがくすぐったくて気持ちいい。 もっと触れて欲しくて額を彼の胸に擦り寄せた。 「オヤ、可愛らしいですね。まるで仔猫のようです」 そう言って、頭を撫で髪を梳いた指がスルリと頬から喉元へと滑る。 ピクリと肩を跳ねさせれば、クスクスと笑う気配がした。 何度か喉元をくすぐるように撫でた指は、また頭を撫でては髪を梳く。 彼の指に絡まる髪。おもむろに持ち上げられたそこに押し当てられた唇。 アッと小さく声を上げて体を強張らせれば、孔雀青の瞳に戸惑う自分の顔が映り込んだ。 スルリと指の間から髪は零れ落ち、またゆっくりと髪を撫でられる。 それを繰り返されるうちに意識が微睡み始めた。 せんせ……小さく溢した呼びかけに返ってきたのは、クスクスと笑う声だけ。 「可愛い可愛いワタクシの仔猫さん。サァ、ゆっくりとおやすみなさい……この、ワタクシの腕の中で」 こんなこと、乱歩先生が言うわけない。やっぱりこれは夢なのだ。 そんな風に思ううちに、意識は真っ白な微睡の世界へと沈んでいった。 第一章 彷徨 一 窓から晩秋の穏やかな日差しが差し込む昼下がりの司書室。 部屋の中央に据えられた応接のソファで一人の女性がウトウトと舟を漕いでいた。 三つ編みにした長い髪を肩口に垂らし、濃緑の上着と濃茶のスカートという制服姿の彼女は膝の上に一冊の本を乗せたまま時折頭を大きく揺らす。 オヤ、これは……と扉を開いた江戸川乱歩は、危なっかしく上体を揺らす部屋の主を見て目を丸くした。休憩のためにと持って来たティーセットを載せた盆を応接机へと置き、どうしたものかとソファの前に立って眉を顰めた。 「司書さん」 屈み込み、声をかけながら白い手袋に包まれた右手を肩に乗せる。軽く体を揺さぶるけれど、目を覚ます様子はなかった。疲れているのだろうとは思うものの、だからといってこんな所で転寝など体にいいものではない。 「風邪をひいてしまいますよ」 隣へと腰を下ろし、今度は両肩を掴んで強めに体を揺さぶる。覗き込んだ顔の、しっかりと閉じられた瞼はそれでも開きそうになかった。 このまま寝かせておくべきか、それとも無理にでも起こすべきかと迷ううちに、ユラリと頭が大きく傾く。アッと声を上げる暇もなく倒れ込んできた体を、江戸川は為す術なく受け止めた。 「乱歩……先生」 小さく唇から零れた声に、思わず動きが止まってしまう。 「仕方ありませんねぇ」 クスリと笑みを浮かべた江戸川は小さく肩を竦めた。 テーブルにはまだ湯気の立つティーポット。今が飲み頃であろう中の紅茶は、このままでは冷めてしまうし濃くなり過ぎてしまうだろう。けれど……そんなことよりも、この無理をしがちな特務司書――本織沙理(もとおりさあや)を休ませてやりたいと思った。 肩を包み込むようにマントを体にかけてやれば、また微かな声が名前を呼ぶ。それに優越感を覚え、知らず知らずのうちに口許が緩んだ。 「そんなに何度も呼ばずとも、ワタクシはここにおりますよ」 そっと触れた髪を撫で、江戸川は囁くように呼びかける。 冬も間近の晩秋。冷たい風の吹く外と隔絶された室内を、赤々と燃える暖炉の火が温めていた。窓の外の、ほとんどの葉を落としてしまった寂しげな木の枝には、その身をふっくらとさせた雀が数羽チュンチュンと声を交わしながら行き来している。 本当に穏やかで静かな昼下がりだった。 「……少し、退屈ですね」 ポツリと呟き、静かな寝息を立てる沙理へと視線を落とした。 「ん……」 ピクリと震えた瞼。オヤと思ううちにゆっくりとそれは持ち上がり、ぼんやりとした目が数度瞬いた。あれ? と目を瞠り、沙理が動きを止める。 「え、あれ?」 キョロキョロと辺りを見回し、自分の体にかけられた見慣れたマントと間近にある見慣れたスーツの真っ白な生地が誰のものであるかに気付いて、沙理は体を強張らせた。 「お目覚めですか」 クスクスと笑いながら声をかけた江戸川に、沙理は弾かれたように顔を上げる。そして、目の前にある顔を見て完全に固まってしまった。 「え……? 乱歩先生!?」 素っ頓狂な声を上げ、文字通り飛び上がった沙理は慌てて体を起こした。 一体、何が起きているのだ。自分は何をしていたのだ。 混乱する頭を必死で整理して、ようやく仕事の合間に休憩をしていたことを思い出した。助手の江戸川が、お茶の用意をしてくると言って司書室を出て行ったのは覚えている。待っている間に読書をしていたはずだったが、いつの間にか転寝をしてしまっていたのだろう。 「ご、ごめんなさい。私……」 「何度か声をおかけしたのですが……お疲れのようですね。寝不足ですか?」 カップに紅茶を淹れ手渡しながら問えば、沙理は苦笑を浮かべてそれを受け取った。 「昨夜、読書してるうちに夜更ししてしまってたみたいで……ッ!」 目が覚めたでしょう? と悪戯っぽく笑う江戸川を軽く睨みつつ、顔を顰めた沙理は冷めて濃くなり過ぎた渋い紅茶を一気に喉へと流し込んだ。 PR