「満つる月夜の邂逅 」(弁望)
個人サイトにて連載していた同タイトル長編(時空跳躍運命偽造話)の加筆修正版。
厳島・弥山で失った弁慶を求め時空跳躍した望美が辿り着いたのは…
サイト掲載時に削ったエピソードやシーンを色々と追加しています。
【sample】
一.月の天女
月が天高く昇っていた。
思ったよりも遅くなってしまった、六波羅からの帰路。
薬師を営む小屋がある五条の、鴨川に架かる橋にさしかかった弁慶は、ふと立ち止まり…夜を明るく照らす望月を見上げた。
鴨川のせせらぎが、人気の途絶えた夜の京に響く。
草陰から聞こえるのは、少しばかり長生きな虫の声。
聞き届ける相手を求め、懸命に声を絞り出している。
逢魔ヶ刻もとうに過ぎたこの時間帯に出歩いている者など、そういる筈もない。
夜の闇は……人ではないモノを呼び込むのだから……
ふ…と、何処からか…遠く、騒ぎの声が風に運ばれて耳に届いた。
あれは恐らく……
「…また、何処かでやり合っているのかな。」
血気盛んな者達同士が衝突しているのだろうと思いながら、弁慶は微かに苦笑を浮かべた。
その脳裏に浮かぶのは、ずっと以前(まえ)の思い出。
まだ、比叡に居た頃の……日々。
あの頃は、今の自分の姿など想像し得なかった。
日々の鬱憤を、暴れ回る事で解消していたあの頃。
京のあちらこちらで、好き勝手な行動を取っていた。
まさか…度々見えた男と無二の友……そして戦友となるなど…考えもしなかった。
それに――
――あの頃得た知識が、こんな形で役に立つとは…ね。
口元に浮かぶのは、苦笑か嘲笑か…
傍目からは…その笑みが無理に浮かべられた表情にしか見えないが……彼がそれに気付こう筈もない。
いや……
そもそも、目深に被った外套の下で浮かべている表情など……一体、誰の目に触れようか……
「あぁ……それにしても、今宵の月は…美しい。」
目を眇め、空を振り仰いで呟く。
さらさら…と月光が降り注いでいた。
「明りなど、必要もないな……」
栄華を極める貴族もあれば、日々の生活に困窮する庶民もいる…人の世は、混乱に向かおうとしているのに…天上界は平和で、今にも天女が舞い降りそうな程に美しい月夜。
…そこまで考えて、弁慶は苦笑を浮かべた。
有り得ない事だ……と
これ程に乱れた…これから更に荒廃してゆくであろう京に、天女の様に美しく清らかな存在が舞い降りる筈などない。
月から視線を離し、再び歩き始める。
しかし……
数歩も行かぬ内に、弁慶は足を止めた。
「――…え?」
誰かに、呼ばれた様な気がしたのだ。
辺りを見渡すが、人影どころか人の気配すらない。
――気のせいか…
と足を踏み出した瞬間。
「っ!?」
突然、辺りが光に包まれ、一瞬、宵闇に慣れていた目が視力を失う。
「一体……何が……」
何が起きたのか…と目を眇めながら視線をめぐらせる。
それは……
彼のいる五条大橋のすぐ下だった。
橋の下の河岸――先程まで闇に包まれていた其処へと、望月が零すそれと同じ、皓い輝きが集束してゆく。
何かに誘われる様に…弁慶は、足を踏み出した。
足早に橋を渡り、回り込むのももどかしく途中で欄干を飛び越える。
皓い光を照り返し、微かに金に輝く髪が…漆黒の外套の下から零れた事にも気付かぬまま、一心に…呼ばれる様に足を進める弁慶。
土手を滑り降りる内にも、光は徐々に薄らいでいった。
「これは……」
降り立った橋の下には、輝きを纏った何かがあった。
……いや、「いた」と言うべきだろう。
無意識の内に伸ばされた弁慶の指先が、その光に触れようとした瞬間。
「えっ!?」
輝きは人の形を取り……急に夜の闇が舞い戻ってくる。
弁慶は目を疑った。
光の中より現れたのは十六・七歳程の髪の長い少女。
素足を晒す程に丈の短い衣を纏っている。
見慣れぬ装束の少女に、戸惑いながらも弁慶は傍へと歩み寄った。
躊躇する指先が一斤染の衣に触れると……少女は、ぴくり…と身じろぎした。
「大丈夫ですか?」
抱き起こし、体を軽く揺さぶる。
ふ…と瞼を開いた少女の瞳に、困惑の表情を浮かべる弁慶の顔が映り込んだ。
一瞬、大きく見開かれた瞳。
見る見るうちに溢れ出した涙が一滴…頬を伝い落ちる。
そして少女は、今にも消え入りそうな哀しげな微笑みを浮かべた。
「――……」
声を伴わず動いた唇が、短い言葉を紡ぎ出す。
それは――紛れもなく弁慶の名だった。
「え…?」
そして、そのまま…
少女は意識を手放してしまった。
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