「満つる月夜の邂逅 」(弁望) 【遙かなる時空の中で3】 2010年04月24日 個人サイトにて連載していた同タイトル長編(時空跳躍運命偽造話)の加筆修正版。 厳島・弥山で失った弁慶を求め時空跳躍した望美が辿り着いたのは… サイト掲載時に削ったエピソードやシーンを色々と追加しています。 【108p/¥800】 ■BOOTHで買う 【sample】 一.月の天女 月が天高く昇っていた。 思ったよりも遅くなってしまった、六波羅からの帰路。 薬師を営む小屋がある五条の、鴨川に架かる橋にさしかかった弁慶は、ふと立ち止まり…夜を明るく照らす望月を見上げた。 鴨川のせせらぎが、人気の途絶えた夜の京に響く。 草陰から聞こえるのは、少しばかり長生きな虫の声。 聞き届ける相手を求め、懸命に声を絞り出している。 逢魔ヶ刻もとうに過ぎたこの時間帯に出歩いている者など、そういる筈もない。 夜の闇は……人ではないモノを呼び込むのだから…… ふ…と、何処からか…遠く、騒ぎの声が風に運ばれて耳に届いた。 あれは恐らく…… 「…また、何処かでやり合っているのかな。」 血気盛んな者達同士が衝突しているのだろうと思いながら、弁慶は微かに苦笑を浮かべた。 その脳裏に浮かぶのは、ずっと以前(まえ)の思い出。 まだ、比叡に居た頃の……日々。 あの頃は、今の自分の姿など想像し得なかった。 日々の鬱憤を、暴れ回る事で解消していたあの頃。 京のあちらこちらで、好き勝手な行動を取っていた。 まさか…度々見えた男と無二の友……そして戦友となるなど…考えもしなかった。 それに―― ――あの頃得た知識が、こんな形で役に立つとは…ね。 口元に浮かぶのは、苦笑か嘲笑か… 傍目からは…その笑みが無理に浮かべられた表情にしか見えないが……彼がそれに気付こう筈もない。 いや…… そもそも、目深に被った外套の下で浮かべている表情など……一体、誰の目に触れようか…… 「あぁ……それにしても、今宵の月は…美しい。」 目を眇め、空を振り仰いで呟く。 さらさら…と月光が降り注いでいた。 「明りなど、必要もないな……」 栄華を極める貴族もあれば、日々の生活に困窮する庶民もいる…人の世は、混乱に向かおうとしているのに…天上界は平和で、今にも天女が舞い降りそうな程に美しい月夜。 …そこまで考えて、弁慶は苦笑を浮かべた。 有り得ない事だ……と これ程に乱れた…これから更に荒廃してゆくであろう京に、天女の様に美しく清らかな存在が舞い降りる筈などない。 月から視線を離し、再び歩き始める。 しかし…… 数歩も行かぬ内に、弁慶は足を止めた。 「――…え?」 誰かに、呼ばれた様な気がしたのだ。 辺りを見渡すが、人影どころか人の気配すらない。 ――気のせいか… と足を踏み出した瞬間。 「っ!?」 突然、辺りが光に包まれ、一瞬、宵闇に慣れていた目が視力を失う。 「一体……何が……」 何が起きたのか…と目を眇めながら視線をめぐらせる。 それは…… 彼のいる五条大橋のすぐ下だった。 橋の下の河岸――先程まで闇に包まれていた其処へと、望月が零すそれと同じ、皓い輝きが集束してゆく。 何かに誘われる様に…弁慶は、足を踏み出した。 足早に橋を渡り、回り込むのももどかしく途中で欄干を飛び越える。 皓い光を照り返し、微かに金に輝く髪が…漆黒の外套の下から零れた事にも気付かぬまま、一心に…呼ばれる様に足を進める弁慶。 土手を滑り降りる内にも、光は徐々に薄らいでいった。 「これは……」 降り立った橋の下には、輝きを纏った何かがあった。 ……いや、「いた」と言うべきだろう。 無意識の内に伸ばされた弁慶の指先が、その光に触れようとした瞬間。 「えっ!?」 輝きは人の形を取り……急に夜の闇が舞い戻ってくる。 弁慶は目を疑った。 光の中より現れたのは十六・七歳程の髪の長い少女。 素足を晒す程に丈の短い衣を纏っている。 見慣れぬ装束の少女に、戸惑いながらも弁慶は傍へと歩み寄った。 躊躇する指先が一斤染の衣に触れると……少女は、ぴくり…と身じろぎした。 「大丈夫ですか?」 抱き起こし、体を軽く揺さぶる。 ふ…と瞼を開いた少女の瞳に、困惑の表情を浮かべる弁慶の顔が映り込んだ。 一瞬、大きく見開かれた瞳。 見る見るうちに溢れ出した涙が一滴…頬を伝い落ちる。 そして少女は、今にも消え入りそうな哀しげな微笑みを浮かべた。 「――……」 声を伴わず動いた唇が、短い言葉を紡ぎ出す。 それは――紛れもなく弁慶の名だった。 「え…?」 そして、そのまま… 少女は意識を手放してしまった。 PR